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9日目(帰国)イスタンブール経由、ローマから関空へ

今夜20時ごろ、イタリア・トルコより無事に全員、関空に到着。何か前日までイスタンブール空港は24時間、大雪のため封鎖されていたとのことで、1000人が足留めをくらったらしい。とりあえず、僕達は影響を受けず、予定通りに帰ることができた。あとは、徳島までチャーター高速バスで帰るだけだが、徳島に帰ったら、町内の銭湯に行きたいと思う。


(写真)関西国際空港 到着ロビーにて

今回の旅行で気づいことをメモしたい。

1. 機内食について(トルコ航空)
ビーガン(ベジタリアン)の人は、旅行会社かチケット購入時に、ビーガンだと知らせておけば、それなりの食事が出てくる。普通の食事の場合、チキンかビーフなど二択から選ぶシステムだが、ビーガンの場合は、あらかじめ用意したメニューを持ってきてくれた。


(写真)トルコ航空の機内食 ビーガンメニュー

2. レンタカーについて (イタリア Hertz)
今回、国際免許を準備せず、イタリアローマで車をレンタルできた。有ればそれにこしたことないが、パスポートと日本の普通免許証、そしてクレジットカードをレンタカーのカウンターで提出するだけで簡単には借りれた。ただ免許証の有効期限が平成で表記されているので、西暦で期限を伝えるとスムーズにいった。
今回借りたのは、日本にもあるHertz、日本と違って24時間何時でも返却できるので嬉しかった。だいたい返却パーキングに1人担当者が待機しているか、場所によってはキーを返却ポストに投函すれば良い。返却前のガソリンの補給も必要なかった。

3. マイレージについて(トルコ航空)
今回、全ての飛行機はトルコ航空だったので、日本の全日空マイレージに加算できる。ただ、僕はカードを自宅に置いてきたので、家に帰ってから専用ウェブページから事後登録手続きするよていだ。

4. Wi-Fiについて(トルコ・イタリア)

2015年2月時点では、イタリアローマ空港内なら、無料でwifiが使えた。イスタンブール空港は有料ならあるが、イスタンブールの観光バスには無料でwifiが使えた。またホテルはどことも無料でwifiが使える。

5. スリについて

今回、ヴネッティアからローマの特急電車で移動中に、近くに座っていた日本人青年(1人旅)がスリにあった。僕の座席から二つ目の近距離の出来事だったので、少し驚いた。
日本人青年は天井近くの棚に財布を入れたカバンを置いていたようで、スリはその青年に、貴方はこの席かどうか、チケットを見せて欲しいといって、隣の空いている席に、まるで自分の席のように座り、財布の在りかや、周辺の状況を伺っていたようだ。そして、自分の荷物も棚に置き、一駅で降りる際に、手際よく財布だけ抜き取る手法のようだ。日本人ツアーの中に1人かカップルで近寄ってきたら、慎重にしたほうが良いだろう。

6. トルコ人の優しい息子
ローマからイスタンブールに飛行機で向かう前、出発ゲートの椅子に座っていると、隣よろしいでしょうか?と青年が英語で尋ねてきたので、良いよと返事をした。すると、自分でなくお父さんを座らせた。飛行機での中でも、斜め前に家族三人で座っていて、父のため、母のため、機内にある毛布や食事など、細やかかな采配をしていたのをみて、トルコの良好な親子関係に少し感動した。

とりあえず、今回の旅行は、当初の目的をほぼ消化することができた。そして何より、11年前、ブーちゃんとの新婚旅行が、自宅から1時間もかからない同県の神山町1泊2日だけだったので、この海外旅行をブーちゃん達とできて、とても良かったと思った。
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8日目(花見)バチカン市国・蜂須賀桜

今回の旅、一番の目的であるバチカン市国で蜂須賀桜を愛でるため、午前中、メンバー15名と向かった。ホテルからは約1キロほどの距離。
谷口神父さんと現地案内人のフランチェスコさん、加藤さんに連れられ、バチカン市国内の奥、特別許可を頂いて、蜂須賀桜のある庭園に入った。
庭園には10年前に植樹されたソメイヨシノと蜂須賀桜の2種類の桜が植えられているが、ソメイヨシノはまだつぼみも小さい。蜂須賀桜は七分咲き。

sakura01.jpg
(写真)バチカン市国の蜂須賀桜 七分咲き

徳島から持ってきた斎藤酒造場の清酒「蜂須賀桜」を枡に注いで、みんなで飲み干した。その後、ブーちゃんと義姉の「さくらさくら」と「故郷」を二重唱。少し早い花見をバチカン市国で楽しんだ。

miage_minna.jpg
(写真)バチカン市国の蜂須賀桜 花見

この様子は、明日の徳島新聞朝刊に掲載されるかも。。。
その後、サンピエトロ大聖堂の中をみんなで散策。これで旅のスケジュール全て、消化したことになる。
夜19時ごろの飛行機に乗って、イスタンブール経由で日本に帰る予定だ。

7日目(巡礼)イタリア・アッシジ・フランチェスコ聖堂

朝5時から昼過ぎまで、宿泊先であるローマのホテルの部屋にて、パソコン作業がメインの仕事をした。内容は、神山町の橋の完成予想パースを仕上げること。 僕が作業している間、ブーちゃん達は、バチカン市国周辺を散策したそうだ。

とりあえず、仕事を終え、ブーちゃんと義姉と3人で、アッシジへ行くことにした。ここは、聖フランチェスコが教会を再建した聖地。また、今の教皇の名は、このフランチェスコから来ているという。
殆どの会の他のメンバーはナポリ&ポンペイへ観光に行ったが、僕達3人は当初から行きたかったので、ローマでレンタカーを借りて、ののちゃん運転でアッシジへ向かった。


(写真)レンタカーのアルファロメオと一緒に ビーガンにとっては残念ながら、室内は革張り。。。そしてマニュアル。

約2時間半かけて、ローマから一般道、高速道路を走って、アッシジに無事に到着。
ちょうど着いたころ、まん丸な夕日が山に沈もうとしていたので、しばらく拝んだ。


(写真)夕暮れの聖フランチェスコ聖堂

教会内部へは、残り時間、5分。。。という、ぎりぎりセイフで、内部へ入ることができた。
そこには、聖フランチェスコが眠っている棺があった。
今回の目的の1つが達成できた。


(写真)夜の聖フランチェスコ聖堂にて

車を返しに行った帰り、ローマ中心部を歩いていると、沢山のパトカーなどの車両、空にはヘリコプター、いったい何があったんだろう?



6日目(謁見)バチカン市国・フランチェスコ教皇

朝、正装してバチカン市国のサンピエトロ広場へ向かった。今日は水曜日、そう教皇の謁見がある日だ。


(写真)サンピエトロ広場にて この青い紙が、謁見の券

10時ごろ、広場には沢山の人盛り。僕達はほぼ中央の席に座ることができた。フランチェスコ教皇が謁見している間、僕は涙が止まらなかった。なぜか?
いろいろと感情的なことはあるが、一番、感じたのは、昔、隠れキリシタンなどで、亡くなった大勢の人達の顔が浮かんだ気がしたから。。。その殆どは無名で、その数は計り知れないらしい。

教皇の謁見の内容は、兄弟仲良く、周辺の人達にも、その愛をもって接しなさい。。。のよな内容だったかな。


(写真)フランチェスコ教皇

謁見の後は、谷口神父と一緒に、ローマ市内観光を楽しんだ。


(写真)谷口神父とジェラート

谷口神父のブログ→〔続〕うさぎの日記

5日目(観光)イタリア・ローマ

今日は、昼過ぎからローマへ向かった。移動は特急電車。時間は約4時間ほど。僕はその間、「とき廻り・ひと巡り」の最後の連載となる記事をまとめた。


(写真)ヴネティア~ローマへ特急電車で移動

夕方からは、バチカン市国の谷口神父を囲んでの食事会が開かれた。その後、永井さんより、バチカン市国の教皇に向けた親書、斎藤酒造の蜂須賀桜などを渡した。


(写真)夕食会

谷口神父のブログ→〔続〕うさぎの日記


(写真)日本国外務大臣政務官から法王フランシスコへ向けた親書を永井さんから谷口神父に渡す


(写真)徳島の斎藤酒造場,、清酒・蜂須賀桜を手にするバチカン市国の谷口神父。

3日目(観光)トルコ・カッパドキア

トルコのことを小アジアと呼んだりしているが、まさに今日は、その小アジアの中央に位置するカッパドキアに向かった。
朝5時にホテルを出発し、イスタンブールからトルコ航空に乗ってカッパドキアに程近いカイセリ空港に到着。ブーちゃん達は不参加で、僕ののちゃんは他のメンバー10人とトルコ人で添乗員のケナンさんの案内でカッパドキアを巡った。
空港から地元チャーターバスに乗って、最初の目的地、「デプレントの谷」に向かい、朝9時30分ごろ到着した。
天気も回復し、暖かい1日となった。何人かは昨日の疲れがあったようだが、最後まで元気にカッパドキアを満喫できた。
とりあえず、下の絵のように特徴的な地形が印象的なカッパドキアだが、巨石好きな僕ののちゃんにとっては、今日の体験は一生残る記念となった。


(写真)トルコ石の宝石商の壁にあったカッパドキアの絵

「デプレントの谷」は、カッパドキアの入口辺りにある鬼岩がならぶ地形。次のスリーシスターズ途中、トアル施設に立寄った。そこで生まれて初めて、蚕から糸を紡ぐ作業を観た。昔は日本でも養蚕が盛んだったとのことだが、僕にとっては新鮮。。。でも残酷な思いも湧いてきた。

(写真)絨毯の横糸になるシルク糸を蚕より紡ぐ

地元添乗員のケナンさんは、スリーシスターの岩より、まだまだ凄い場所があるよと、地下都市へ向かった。


9:35 スリーシスターズ(三姉妹の巨岩)

この地下都市は、もともとキリスト教信者が隠れるための地下都市という。迷路のように中は無数の穴々だらけ。たまに迷子になる観光客もいるとか。結構、殆どの通路が低い天井だったので、腰に結構キタ!
ドキュメント映画「劔の夜明け」オープニングの高根三教の回想シーンで、ここで撮影した映像を入れ込む予定だ。


カイマクルの地下都市

世界遺産のカッパドキア、ここパシャバーは、より身近に岩々を歩いて散策できる。


カッパドキア・パシャバー

昼食は、洞窟食堂で頂いた。日本語達者なウェイターさん、どことなく叔父にそっくりだった。
3時のカフェは、ギョレメを一望できる丘の上のカフェでトルココーヒーをおごっていただいた。


ギョレメ・カフェ

最後に、カッパドキアのウチヒサルを訪ねた。少し自由時間ぽかったので、写真撮影だけではものたらず、実際に洞窟で暮らす人々の様子を見に行きたく、沢山ある穴々に向かって歩いて行った。すると、ツアーの何人かが、後ろに同行していたので、みんなで探検ゴッコを楽しんだ。


(写真) カッパドキア・ウチヒサル

探検ゴッコのクライマックスは、入れそうで入れない居住穴に、入ること。。。僕ののちゃんでは、少し高い場所に穴があったので、同行していた女性Nさんに、僕を踏み台として、上がってもらい、中を撮影してもらった。


(写真) カッパドキア・ウチヒサル

一旦、下の広場に戻り、振り返ると、1人の男性が奥の岩の方に立っておられたので、メンバーの男性かと手を振ったら、向こうも手を振り替えし、応じてくれた。
結局、別人で住民のイシュマエルさんだった。どことなく徳島県牟岐町のS宮司に雰囲気が似ていた。


(写真)ウチヒサル・イシュマエルさんの玄関先にて

イシュマエルさんは、だいだいこのカッパドキアの洞窟に暮らしており、居住の一部をカフェとして解放している。
寝室やキッチン、そしてテラスを見せていただけた。


(写真)ウチヒサル・2階玄関先のイシュマエルさん

客室で、カフェを飲みながら、雑談していると、「もうバス出るよ!」とのメンバーの知らせに、お宅訪問はそこそこに、イシュマエルさんの案内で、他の部屋部屋を見せてくれた。 奥のストーブの壁は、昔、イシュマエルさん自身による彫刻を施した壁面。


(写真)ウチヒサル・イシュマエル邸の客間

また、テラスからの眺めは最高で、「こんどゆっくり来なさい。いつでも泊まっていいよ!」と嬉しい、言葉も頂いた。とりあえず、時間がないので、握手をして別れた。 本当にここに住みたいと思えるほど、快適な空間に思えた。


(写真)ウチヒサル・イシュマエル邸のバルコニー

最後は、カッパドキアの鳩の谷で少し休憩して、朝来た逆のルートでイスタンブールへ戻った。
カッパドキアは想像していたより、かなり広い範囲に及んでいる。世界遺産に登録されているので、来る観光客は増える一方で、観光地化していくことは、仕方ないが、少し残念にも思う、今日のツアーだった。
イシュマエルさんのように、昔ながらのスタイルを残しながら、暖かく観光客を迎えてくれる場所は、非常に貴重だと思った。


(写真)鳩の谷

明日は、午前中にイタリアのヴェネツィアに入る予定だ。

2日目(観光)トルコ・イスタンブール

予定より1時間ほど早く、イスタンブール空港に到着。時刻はまだ早朝の4時半ごろ。
しばらく空港で時間つぶしをして、イスタンブールのチャーターバスに乗って、旧市街地へ。


(写真)ツアー全員のスーツケース イスタンブール空港にて

1軒目の訪問先となったブルーモスクでは、僕がボヤボヤしている間に、1人バスに取り残されて、バスの運転手と離れた場所にある駐車場に連れていかれてしまった。みんなより約30分遅れの合流。。。


(写真)ブルーモスクは、17世紀のオスマン帝国のモスク。

このイスタンブールは、ビザンティン帝国の時代、コンスタンティノープルと呼ばれていた。
西ローマの中心がバチカンだとすると、東ローマの中心はこのコンスタンティノープルなのだが、その更なる中心が、アヤソフィア大聖堂だという。


(写真)アヤソフィア大聖堂前の公園で三毛猫ちゃんにシャッターチャン~ス

昼前、トアル問屋街で、みんなが買物をしている際中、僕はその付近をひとりぶらぶら散策した。
みんなで昼食を食べ終え、トプカプ宮殿へ向う。


(写真)渦巻きが美しい市内の公園

この宮殿は、オスマン時代の君主の宮殿。 敷地内にある建造物の天井に、ちゃんと数えていないが沢山の16紋菊が金色に輝いていた。


(写真)トプカプ宮殿のテラスより、ボスポラス海峡を望む場所で、ブーちゃんと記念撮影


(写真)グランバザールにて

明日は日曜日なので、グランバザールが休みとのことで、夕方、みんなで立寄ってみた。約5000軒の店が立ち並ぶそうで、今回は時間がないので、ほんの手前のアーケード街のみを歩いた。
その後、ホテルに戻る途中、渋滞にはまり、僕と女性3人の計4人だけ、チャーターバスを降りて、地下鉄に乗った。
この地下鉄、実は、アジアとヨーロッパを繋ぐ地下鉄で、ボスポラス海峡の地下を通過している。日本の大成建設が成し遂げたそうだ。


(写真)地下鉄の電車前にて

明日はトルコのカッパドキアに行く予定。

1日目(出国) 関空からトルコ・イスタンブールへ

午前中、学生の卒業制作展に伺った。教え子ばかりの作品なので、彼等の顔を思い浮かべながら鑑賞を楽しんだ。
それから、気になってた清酒・蜂須賀桜の酒造場が近かったので、立ち寄って中瓶2本と枡を5個、購入しバチカン市国へのお土産とした。


(写真)斎藤酒造場 清酒 蜂須賀桜 2本買って残り1本となった

なんやかんや準備していると、あっという間に出発時刻。義兄の車でとくとくターミナルでチャーター便の高速バスに乗車した。


(写真)徳島から関空までのチャーター高速バス バチカンで蜂須賀桜を愛でる会

とりあえず、23時頃出発のトルコ航空に乗ってイスタンブールにこれから向かう。
この蜂須賀桜を愛でる会は添乗員入れて15名。今日から10日間、安全で楽しい旅になるよう願いたい。

イタリアへ行く理由の1つ

fune.jpg
(写真)13人のイタリア人が乗船していたカイザーリンエリザベート号 1914年11月2日に青島にて自沈
参考:wikipediaよりhttp://de.wikipedia.org/wiki/SMS_Kaiserin_Elisabeth
This image is in the public domain because its copyright has expired.


再来週、家族でイタリアへ行くのだが、旅の理由の1つとして、第一次世界大戦で日本の収容所で俘虜となったイタリア人(厳密に言うとイストリア半島とダルマチア地方)の供養のためだと、何となく思えるようになった。

その大戦時、ドイツ兵に混じって同盟国のオーストリア軍も参戦、日本軍の俘虜となったオーストリア=ハンガリー帝国巡洋艦皇后エリザベート号の乗員には、現在のクロアチア人、ハンガリー人、イタリア人など様々な国籍の船員や水兵が大勢乗っていたという。そんな中、日本の収容所を転々と移動し、最後に徳島県の板東俘虜収容所に収容された13人のイタリア人について、興味を持ち調査するようになった。(板東に収容されなかったイタリア人も多数いたもよう)

1999年に僕はクロアチアとスロベニアを旅行した際、ひとり、レンタカーを借りてイストリア半島とダルマチア地方を1週間かけて車で巡ったことがある。今思えば、この13人の内、10人の故郷を巡ったことになるのだが、残り2人の故郷はまだ巡れていなかった。そして今回、いよいよ残る2人の故郷、イタリアのトリエステへ行けそうなのだ!

以下に13人の名簿、日本帝国俘虜情報局『獨逸及墺洪國俘虜名簿』大正6年6月改訂より抜粋する。
1917年に徳島県板東俘虜収容所に収容されていた当時イタリア人13名をアルファベット順に記す。全員、イストリア地方とダルマチア地方の出身者で、現在の国に分けると、クロアチア10名、イタリア2名、スロベニア1名となる。

因みに、トリエステ出身者は、④Frausin Josefさんと、⑨Pinski Brunoさん。今回の訪問で何か手がかりが見つかればと思っている。この⑨Pinski Brunoさんは、「青島の擁護者と日本での監禁」Die Verteidiger von Tsingtau und ihre Gefangenschaft in Japan に13人の中で唯一記載されている人物。内容は次の通り。
参考文献:http://www.tsingtau.info/index.html?namen/p.htm

bei Mobilmachung(01.08.1914) Matrose 3. Kl. auf k.u.k. Kreuzer Kaiserin Elisabeth;
ab 11.1914 gefangen im Lager Himeji(Gef.-Nr.2368, Heimatort: Triest, Istrien), 20.09.1915 verlegt ins Lager Aonogahara, 09.10.1916 im Lager Marugame, 08.04.1917 verlegt ins Lager Bando;
06,1917 auf Ehrenwort entlassen
≪翻訳すると≫
1914年8月1日に3等水兵としてクッククルーザー カイザーリン エリザベート号に動員された。
(指揮所Nr.2368、出身:トリエステ、イストリア)1914年11月から姫路に収容、1915年9月20日に丸亀に収容、1916年9月10日に青野原へ移動し、1917年4月8日には板東に収容。1917 年6月に仮釈放される。 

この仮釈放について補足をすると、13名全員、6月22日、イタリアの連合国加盟により宣誓解放され、板東俘虜収容所の高木大尉の付き添いでイタリア人13名は、小松島港から徳島丸(共同丸?)で神戸に着き、同夜は栄町の「恵比須屋旅館」に宿泊。その時、大正6年6月24日付の神戸新聞に、高木大尉を囲む13名の俘虜達の記念写真が掲載されている。詳しくは、ののちゃんブログの「クロアチア兵と鶴亀物語」を見てね。

以下に13人全員の名簿を記す。

①Bianchi(ビアンキ),Leone de
エリザベート号乗員・4等軍楽下士。1916年10月9日、リッチ(Rizzi)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのチッタノーヴァ(Cittanova)出身。27歳。

②Brunni(ブルンニ),Angello
エリザベート号乗員・3等水兵。1916年10月9日、ツリアーニ(Zulliani)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのロヴィンゴ(Rovingo)出身。26歳。

③Descovich(デスコヴィッチ),Vincenz
エリザベート号乗員・3等甲板下士。青野原時代の1916年8月3日付け書類によると、隔離を要する俘虜とされた【『俘虜ニ関スル書類』より】。1916年10月9日、フラウジン(Frausin)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。アドリア海東岸のダルマチアのセベニコ(Sebenico)出身。25歳。

④Frausin(フラウズィン),Josef
エリザベート号乗員・2等水兵。1916年10月9日、マダレンチッチ(Madalencic)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。トリエステ郊外のムッギア(Muggia)出身。26歳。

⑤Madalencic(マダレンチッチ),Edmondo
エリザベート号乗員・1等水兵。1916年10月9日、マラチッチ(Maracic)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのブジェ(Buje)出身。27歳。

⑥Maracic(マラチッチ),Petar
エリザベート号乗員・1等水兵。1916年10月9日、ピンスキー(Pinski)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのポンテ(Ponte)出身。コラシ26歳。

⑦Martinovic(マルチノヴィッチ),Rudolf
エリザベート号乗員・1等水兵。1916年10月9日、マラチッチ(Maracic)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。ダルマチア(今日はクロアチア)ツァラ(Zara)出身。28歳。

⑧Parenzan(パレンツァン),Marko
エリザベート号乗員・2等水兵。1916年10月9日、ロッスト(Rossut)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのピラノ(Pirano)出身。26歳。

⑨Pinski(ピンスキー),Bruno
エリザベート号乗員・3等水兵。1916年10月9日、ロッスト(Rossut)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのトリエステ(Triest)出身。ロンスキ25歳。

⑩Pozar(ポーツァル),Isidor
エリザベート号乗員・3等水兵。1916年10月9日、ツリアーニ(Zulliani)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのフイウミツェロ(Fuimicello)出身。26歳。

⑪Rizzi(リッチ),Giovani
エリザベート号乗員・1等水兵。1916年10月9日、ビアンチ(Bianchi)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。ダルマチアのルッシンピッコロ(Lussinpiccolo)出身。26歳。

⑫Rossut(ロッスト),Karlo
エリザベート号乗員・1等水兵。イタリア人。1916年10月9日、他の12人のイタリア系等の俘虜とともに、青野原から丸亀に写された。板東時代の1917年5月13日縊死未遂事件を起こした。1919年6月28日のヴェルサイユ講和条約で、イタリア領に編入されたイストリアのチッタノーヴァ(Cittanova)出身【同地は第二次大戦後のユーゴースラヴィアを経て、今日はクロアチア共和国に属し、ノヴィグラード(Novigrad)となっている】。27歳。

⑬Zulliani(ツリアーニ),Pietro(1891-1966)
エリザベート号乗員・3等水兵。1916年10月9日、デスコヴィック(Descovvick)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。1917年9月30日付けで、オーストリア=ハンガリー二重帝国海軍から逃亡兵として除隊処分になった。イストリアのグラード(Grado)出身。26歳。

IMG_7626.jpg
(写真)大正6年6月24日の神戸新聞掲載。

前回取り上げたブログのリンク↓

クロアチア兵と鶴亀物語
第一次世界大戦のクロアチア人、ドイツ捕虜の件で調べて分かったこと

そろそろ準備

来週、トルコ、イタリア、バチカンに家族で旅行に行く予定。もう出発まで1週間、そろそろ準備をはじめようと思う。
昨夜、ブーちゃんのキャリー(60L)を買った。僕は以前から持っているキャリー(100L)、全ての飛行機は、トルコ航空を使う予定なので、ケース込み総重量は、20Kgまでなら無料、それを以上は、追加費用がいるとのこと。

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(写真)手前の赤いキャリーが60L、奥が100L

実は、忙しい今、このタイミングで旅行に行く本当の理由が分からないでいる僕。。。たぶん、帰国して何かに、気づくのだろうか?

徳島県南の旅

建国記念日の今日、パワ友さんと2人で、日帰りで徳島県南をドライブした。
朝7時に、ののちゃん運転で自宅を出発。

まず向かったのは、① 阿南市富岡町。
ここは、パワ友さんが幼い頃、一時期住んでいた場所。僕も小学生2~4年まで阿南市内に住んでいたこともあり、パワ友さんの話しを元に、現地まで案内した。
お互い、阿南市内に住んでいた事実に少し驚いた。

次に向かったのは、② 阿南市富岡港。
こちらは、僕ののちゃんが小学生の頃、溺れた場所。
今もその時、海中に沈む光景をハッキリ覚えている。

次に向かったのは、③ 阿南市橘町の海正八幡神社。毎年秋の祭りで、山車のぶつけ合いが有名な神社。


(写真)海正八幡神社、阿南市

途中、④ 日和佐道の駅にて、軽く地産の惣菜を購入。少し雪混じりの風が強く吹いていたので、急いで戻り車中で食べた。

次に向かったのは、⑤ 千羽海崖。
1258年の鎌倉時代、一夜にして村が海へ沈んだ場所。二見千軒ともいう。
前回訪れた際、携帯電話が壊れるハプニングがあったが、今回は壊れず済んだ。


(写真)千羽海崖、美波町

次は、⑥ 南阿波サンラインを通って牟岐町へ。ほとんど車の往来もなく、景色を楽しみながら海岸線をドライブした。


(写真)太平洋に浮かぶ大島、美波町

次は、⑦ 牟岐町の中心部にある八幡神社。アポなしの訪問だったが、以前から会いたかったS宮司さまに会えた。
日を改めて牟岐町の大島へ渡りたい旨をお伝えした。


(写真)八幡神社、牟岐町

次にパワ友さんの案内で、⑧ 鯖大師に寄った。地下の護摩堂へ続くミニ八十八ヶ所と別格本山の石仏が並ぶ幻想的な光景は圧巻だ!


(写真)鯖大師、牟岐町

次に、⑨ 大里松原海岸。


(写真)大里海岸、海陽町

海岸から車で直ぐの所にある、⑩ 大里古墳へ。パワ友さんいわく、以前は古墳の石組みの中に入れたとのことですが、現在は崩壊の危険があるそうなので、立入り禁止の状態。でもわりかし近くまで寄れた。
僕が覚えている中で、石組みの中を自由に入れる古墳が阿波市に2ヶ所あるのだが、今思うとそれらは、非常に貴重な古墳だと思えた。


(写真)大里古墳、海陽町

そして、僕的に気になっている場所、⑪ 鞆浦の海岸へ行った。広島県福山市にも鞆という港があるが、共通性を感じるのは僕だけではないと思う。港から望む「大島」または「出羽島」は「仙酔島」に置き換えられる位置なんだろう。


(写真)鞆浦、海陽町

次に向かったのは、港から山間部へ移動した先にある、⑫ 切浪不動尊。静かな佇まいの奥に、人ひとりが通れる2本の大樹があり、その隙間を抜けると、巨岩が浮いているかのように祠の上に鎮座していた。


(写真)切浪不動尊、海陽町

パワ友さんの案内で、次に向かったのは、⑬ 城満寺。曹洞宗のお寺で、今から700年以上まえの鎌倉1295年に、瑩山により開山され、後に建立されたお寺。


(写真)城満寺、海陽町

海陽町宍喰のうどん屋で昼食をとる。さらに県境を越えて、高知県の甲浦へ。そのすぐ近くにある、⑭ 白浜海岸へ寄った。ここは約20年前にパワ友さんが溺れた海岸で、僕ののちゃんが溺れた時と同じ、太陽の光りが揺れる水面を見上げながら沈んでいったと言う場所。


(写真)白浜海岸、海陽町

そして今日のドライブでUターンするポイント、⑮ 野根の街並みを走った。その途中、まんじゅう屋の看板に目が止まった。天皇陛下に献上されたとの文字があった。


(写真)野根まんじゅう、東洋町野根

町外れのお寺、⑯ 弘法大師のお寺を発見、そこにはお遍路さんが自由に寝泊りできるはなれ、憩いのテーブル、瀧などがあった。


(写真)弘法の瀧、東洋町野根

そして今日、一番訪ねたかった、⑰ 竹ヶ島へ。現在は橋で繋がっているので簡単に車で渡ることができる。毎年5月に春祭りがあって、島の高台にある竹島神社から神輿を担いで駆け降り、海へ入水するという。


(写真)竹島神社、海陽町竹ヶ島

パワ友さんの知り合いで、作家のYさんに会うため、いざ廃校になった小学校へ向かう。その途中、天然記念物の崖の前を通った。⑱ 化石漣痕(かせきれんこん)という波のような後が残る岩肌が特徴のスポット。


(写真)宍喰浦の化石漣痕、海陽町

宍喰町を通り抜ける際、偶然にも、⑲ 八阪神社の前を通った。一般的な「八坂」と漢字では書かず「八阪」となっているところが面白い。剣山の神社と同じように毎年7月17日に例祭があり、日本3大祇園祭の1つとして有名な神社だ。


(写真)八阪神社、海陽町宍喰

作家のYさんが活動している廃校になかなか辿り着けずいると、⑳ 大山祇神社の前を通りかかる。こちらは現在、徳島市内のトアル場所でマッサージをされているTさんのおススメの1つだそうで、パワ友さんによると、ぜひ寄ってみるべき神社とのこと。


(写真)大山祇神社、海陽町宍喰

徳島県の海陽町だが、野根川沿いにある廃校に到着。21 旧杭ノ瀬小学校だ。ここに作家のYさんが居ると思われたが、別の作家Uさんが居られた。Uさんの説明で引返すことに。


(写真)杭ノ瀬小学校

引返すこと20分ぐらい。やっとYさんが居られる別の廃校、22 旧角坂小学校に到着。しかし夕方とあってか、誰も居なかった。
恐らく、自宅へ戻られていると思い、また竹ヶ島近くまで引返し、23 Yさんのお住まいにお邪魔した。

いろいろお話しをした後、まだ暗くなる前だったので、那佐湾近くの愛宕山山頂にある、24 くじら石を見に寄った。


(写真)くじら石、海陽町宍喰

愛宕山を下山する途中、見下ろすと那佐湾があった。いつかその突き出している半島をパワ友さんと訪ねてみたいと思っている。


(写真)那佐湾、海陽町海部

そして県南からもどり、徳島市内のインドカレー店で、遅い夕食。ここが最後のスポット、26番目となる。

今回でパワ友さんと一緒に過ごした建国記念日は3度目となる。
記憶に残る一日でした。

神戸の三好氏ゆかりの地へ

午前9時過ぎ、ブーちゃんと義姉の3人で神戸方面へ出発した。
新春の買い物ツアーとして、女性2人は三田アウトレットへ行きたいとのことだったので、僕ののちゃんは運転手として加わった。。。っと言うものの、あまり買い物に興味がない僕は、途中買い物には加わらず別行動~
そう、去年制作をした「三好氏所縁のマップ」に洩れていたスポットを巡るツアーをした。
ただ、午前中の「枝吉城址」と「太山寺」の2ヶ所は3人で訪ねた。

去年、三好長慶会15周年記念祝賀会に来ていた関西在住のSさんから「近畿にはまだまだ三好氏ゆかりの場所は沢山あります!」と、ご指摘を受けていたので、できれば昨年中にSさんと一緒に取材を済ませたかったのですが。。。残念ながら全くできず、今日、とりあえず頂いた資料でひとり巡ることにした。

まず向かったのは枝吉城。頂いた資料によれば、この城の第二次の戦いで三好実休と篠原長房の勢が出兵。三好長慶も攻囲軍に関わったとされる場所。

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(写真)神戸市西区枝吉4丁目にある枝吉城址 または播磨吉田遺跡として有名

そして、興味深いのが、この場所一帯が巨大な遺跡ということ!今日は立寄らなかったが近くに「王塚古墳経塚」があるそうで、その模型が城址の麓にあった。今日は閉館中だったが敷地内にある「吉田郷土館」にぜひ次回立ち寄ってみたいと思った。

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(写真)播磨吉田遺跡の王塚古墳経塚の模型

正月最後の今日、3人で神戸に来たわけだが、腹が減っては動けない僕達。。。運転中にブーちゃんが見付けた天ぷら屋さんに入ることにした。
ベジでも食べれそうだ!っということで決めたのですが、野菜天定食690円は非常にお徳感一杯。
薄皮衣でアツアツの7種類の野菜の天ぷらはGOOOOOD! しかもごはん大盛もお値段据置き!!

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(写真)天ぷら定食 まきの 西神戸店 神戸市西区枝吉5-5 で昼食 目の前で揚げてくれる

昼食を済ませ、次は太山寺へ。「ふとやまでら」とは呼ばず「たいさんじ」と言う~
こちらには、先ほど寄った「枝吉城」の戦いに加わった三好長慶が、この太山寺に布陣し、この寺に石燈篭を寄進したと記される。
そんな訳で、3人で向かった。

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(写真)神戸市西区伊川谷町前開224にある太山寺の三重塔前にて記念写真

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(写真)太山寺の太子堂前の三好長慶寄進の石燈篭の前にて記念写真

「太山寺」を後にして、いよいよブーちゃん達がワクワクするスポット「三田アウトレット」へ直行。
13時30分ごろに到着。2人を車から降ろして、僕ののちゃんは、ひとりワクワクするスポット「布引の滝」近くにある「瀧山城址」へGOGOGO

この城は松永久秀の最初の居城とされ、度々、三好長慶も連歌などを興じていたとか。
新幹線が発着する新神戸駅の裏山にある「瀧山城址」へは、時間の都合もあり、展望台まで車であがり、そこから歩いて城へ向かった。
しかし、結構起伏が激しく、大都市の駅裏とは思えない風景に、気も心もハイテンション!

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(写真)新神戸駅から北北西500mの位置にある猿のかずら橋

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(写真)瀧山城址への山道上空を神戸布引ロープウェイが通る

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(写真)瀧山城址への山道

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(写真)新神戸駅から西北西800mの位置にある瀧山城址

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(写真)瀧山城の本丸は地上42階・約150mのジークレフ新神戸タワーより更に高い約316mの標高に位置する

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(写真)瀧山城址を下山して布引の滝にて 残念ながら滝壷へは立入り禁止。滝行はできなかった↓

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(写真)布引の滝の滝壷前にある五龍不動さま

午後4時に「三田アウトレット」に向かいに行く約束だったので、今日の三好氏所縁のひとりツアーは、ここまで。
買い物を楽しんだ、ブーちゃんと義姉を車に乗せ、無事に徳島へ帰宅した。

アナタがワタシ、ワタシがアナタ

今日は、トアル人達を剣山にご案内する役として、朝11時にトアル場所で待ち合わせ。。。

そうそう、その前にやっておかなくてはいけないことがありまして、鳴門市の大麻比古神社にGOGOGODASH!
来週の11日までに第二版の土御門上皇の所縁と伝説の地マップを印刷しなければならないので、そのマップの変更箇所をK宮司にチェックして頂くために、お伺いしておりました。

とりあえず、OKを頂き、印刷屋さんに入稿できそうですグッド! 今回は、国文祭の阿波市でのイベントに配って頂くために、4000枚印刷することにしています。


大麻比古神社での用事を済ませ、待ち合わせ場所に移動車 午前11時過ぎに、トアル人達と再会ニコニコ

僕ののちゃんの車を先頭に、もう一台、尾行して頂き、剣山方面へGOGOGODASH!

剣山に登る前に、恒例の禊。。。つるぎ町の鳴滝で、僕ののちゃんは褌一丁でドボーンチョキ

その他の人達は、手や足を滝壷の水につけて清めておられました。

今日の鳴滝は、台風17号の影響か、いつもより水量が多かったです叫び なので、滝の下には行かず、少し離れた滝壺の淵でしばらく禊をさせて頂きました。

100mの落差を3段の滝となって、流れ落ちる鳴滝。。。トアル人達も感激されていましたドキドキ


鳴滝の後、ついでなので、すぐ近くの土釜にもご案内。 緑色片岩の自然の甌穴は見事でして、轟く水流がグルグル洗濯機のように回っていました目


お腹が減ったので、国道438号を登る途中の『そばごや』と言うそば屋に入りました。

僕ののちゃんは2度目の入店でして、小麦のツナギを全く使っていないGOOODな蕎麦を頂きました。

少し頑固そうなおっちゃん店主の趣味は多彩でして、今回はアンティークな発動機の数々を写真で見せて頂きましたビックリマーク


ののちゃんブログ-そばごや (写真)店名も『そばごや』。。。一直線なそば屋さん。 徳島県美馬郡つるぎ町一宇字犬墓。


次に向かったのは、国道438号のトアルヘヤピンにある「お堂」と「天の岩戸」。

天の岩戸では、大阪から観光に来ていたOさんと初対面ながら、以前どっかで会ったかのような出会いがありました。

少し暗くなるまで、「天の岩戸」にある神楽岩の上で座談会をしました。。。トアル方が仰った「アナタがワタシ、ワタシがアナタ」の言葉が一番記憶に残りました。 本人には真っ当に言えませんが、根本的に僕ののちゃんと同じ意識と心情で行動されている方だと改めて思いました。


まだ今夜の宿泊先が決まっていなので、山頂近くの宿泊所に電話するも難しそうだったので、師匠に電話して、見ノ越にある民宿を紹介して頂きました。

残念ながら、大きな湯船の温泉温泉リクエストがあったので、その民宿では夕食&お土産をして、東祖谷山にある「いやしの温泉郷」に宿泊することにしました。

予定では、この日は自宅に戻る予定でしたが、時間も夜8時ごろでしたので、一緒に宿泊することに。。。

明日はどんな一日になるのでしょうかニコニコ おやすみぐぅぐぅ


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