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高知へ出張

朝9時前に、空撮の仕事のためAさんと高知市へ向かった。
高知では風もなく、ほどほどの視界があり、良い撮影日。
今後、仕事の内容が変わるかもしれないので、ひょっとしたら今日の空撮が仕事として最後になるかもしれない。

徳島に戻り、お腹が減ったので、午後3時過ぎにうどん屋さんへ。。。しかし、行きたかった店いずれも閉店時間変更で閉まっていた。残念。不景気のせいで時間短縮しているのだろうか?
鳴門市の老舗ホテルや、那賀町相生のもみじ川温泉も最近閉業したと聞いているし。


(写真)奥に高知城が
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洗車

昨日の北斗七星ツアーの最後の最後、7つ目の南辺寺山の泥沼の山頂で車を駐車したので、タイヤをはじめボディーやガラス、室内の床までもが泥だらけになってしまった。
それで昼の合間に、洗車にでかけた。
和歌山の岩本さんにメンテナンスをして頂いて以来、非常に調子の良い僕の天ぷらカー、もちろん廃油の天ぷら油での走行も絶好調!今年の8月が車検だけど、大切に乗り続けたい。。。


(写真)天ぷらカーを洗車して

北斗七星ツアー2日目

深夜の2時過ぎまで、宿泊先のコテージでパソコンでできる仕事をつづけた。
そして朝は8時過ぎに起床、久しぶりに、まとまった睡眠を取ることができた。
他のメンバーもゆっくりな朝の様子。。。外は小雨。
朝食を終え、朝10時に宿を後にし、今日一つ目の星、三熊山へ向かった。


(写真)ボランティアで洲本城をガイドしていただいた細川さん

厳密に言うと、この三熊山は3つの連山の総称らしく、洲本城のあるこの山を高熊山と言う。
ガイドの細川さん、地元ではかなり有名な人物らしく、急遽、駆け付けた由良のUさんなどからも、挨拶されるなり、みんなの人気者だった。
この山は、さざれ石が目立つ地質で、多くの岩は城の石垣として砕かれ積まれてしまだててるが、北側斜面にある八王子神社には、今もさざれ石の巨石が横たわって祀られている。
Dさんはじめ何人か、こかでインスピレーションを受け取ったようだ。


(写真)高熊山の八王子神社

2つ目の星は諭鶴羽山へ。まだ雨あしが強かったので、山頂は諦めて、神社の拝殿でしばらく過した。Sちゃんの祓いの儀式からスタートし、みんなで祈った。Dさんは20年以上前に一度来たことがあるとのことで、そのころは、かなり淋しい場所だったそうだ。


(写真) 諭鶴羽山の神社

参加者のSGさんより、三原にオススメのレストランがあるとのことで、3時頃おそい昼食を11人みんなで取った。ベジタリアン料理もあるとのことで、僕のほか3人が豆腐ハンバーグの定食をいただいた。


(写真)ミレット マルシェ ソラ 南あわじ市榎列小榎列183 岡田マンション 1F

時間を見ると、もう16時だったので、急いで最後3つ目の星、南辺寺山へ急いだ。
地元のNさん先頭で、頂上に到着。。。しかし、雨で地面は泥濘で、車のタイヤと靴は泥だらけ。少しテンションが下がった。ここは四十九日前に、死者が鬼に邪魔されないよう「だんご転がし」で鬼の目を奪った隙に、浄土へいく場所らしく、メンバーの何人かは、悪い気を受けていたようだ。
しかし、昨日の最初の1つ目の星が、鬼神山(篝場山)からスタートし、今日最後の7つ目がが、鬼に纏わる南辺寺山でゴールしたのも、いろいろ意味があるのだと気づくことができた。

最後の最後は、南あわじ市にある阿波井神社に向かい、みんなで輪になって手をつなぎ、総括をして、解散した。
今回、淡路島の北斗七星の7つの星巡り、たいへん意味あるツアーだった。
大阪方面からこられたDさん達、ありがとうございました。
そして、地元淡路島の方々、お世話になりました。


(画像)北斗七星と北極星は淡路島と小豆島にリンクする

北斗七星ツアー1日目

朝5時まで仕事をして、ほとんど睡眠も取らず、淡路島へ向かった。
今日は、1泊2日で淡路島の北斗七星の星とリンクするスポットを巡る1日目。
予定では、杓の柄の部分の、篝場山(鬼神山)→伊勢の森→摩耶山→高倉山の4つを巡る。
朝9時に淡路IC近くの集合場所へ。大阪方面からDさんはじめ、5名と、地元4名と僕の10名で、まずは1つ目の星、篝場山(鬼神山)へ。 ここは近くの八畳岩から臨んだ。 今回の参加者のメンバーのことを考えると、頂上まで登山するのは、かなり難有りと判断。またの機会に登山を予定することにした。


(写真) 篝場山(鬼神山)を臨む

2つ目の星へ向かう前に、伊勢の森の下にある浅野滝(不動の滝)で禊をすることにした。僕も久しぶりの訪問で、褌一丁で軽く滝行をした。寒さのピークは終わっている感だった。


(写真)浅野滝(不動の滝)

常隆寺本堂の左側に鳥居があり、そこの階段を登って行くと、10分もかからない距離に山頂に辿りつく。淡路島には珍しく杉林の中を散策。黄砂がなければ播磨灘の奥に小豆島が見えたはず。。。


(写真)伊勢の森(常隆山山頂) 後姿はDさん

軽く昼食を終え、3つ目は、摩耶山。こちらも山頂近くまで車で登れるので楽だった。鷲峰寺が直ぐ側にあり、ミニ三十三ヶ所巡りが山頂へ続いていた。山頂は丸く開けており、Dさん曰く、ここは古墳ではと言っていたが、その渕には大小の岩々が螺旋状に配置されており、不思議な空間だった。
ここで参加者全員で輪になって手を繋いだ。何か電気のようなエネルギーを右手から左手へと伝わるのを感じた。その後、どうやら、僕の携帯がウントモスントモ言わなくなり故障したもよう。


(写真)摩耶山山頂

そして今日、最後4つ目の星、高倉山へ向かった。山頂の神社には何も居ないようで、北側の奥にある「潜り岩」こそ目的地と思われたが、時間はすでに17時を越えていたので、暗闇での散策は危険と判断し、山頂の境内でしばらく過した。

今日は淡路島のトアルコテージで1泊。食事を済ませ、お風呂に入り、僕は溜まっている仕事を、みんなが寝た後、ひとり黙々とパソコンでの作業を続けた。
とりあえず、1つ目から4つ目の星々を今日巡ったことになる。


(画像)北斗七星と北極星は、淡路島と小豆島にリンクする

日常を満喫

今日の空は黄砂のため、見晴らしが非常に悪い1日だった。もし、黄砂の影響がなければ、仕事で高知市の空撮を予定した。
昼頃、洲本のKさんが徳島市内の斎藤酒造場の見学会などしているとの電話があったが、時間的タイミング合わず、またの機会に会うことにした。

次年度担当している講義のシラバスを記載し自宅へ戻ると、満開の梅の奥が気になった。その茂みに、そうフキノトウ。。。もう収穫する時期は過ぎているが、以前、天ぷらにすると美味しかった記憶がある。


(写真)裏庭のフキノトウ

父の五周忌

少し時差ボケと、軽い鼻風邪でボーッとしたいところだが、結構、仕事などの作業がたまっているので、3月中旬まではかなり忙しい。。。そんな今日、平成22年2月22日に他界した父の五周忌のため、家族と墓参りに行った。父の死がきっかけとなって出会うことができたパワ友さんも、午後2時22分ごろに、偲ぶ会を独自で開催していただいた。
あっと言うまの、この5年を改めて振り返ることができた。

墓参りの帰り、東の空に大きな虹が掛かっていたので、近くの海岸まで行ってみることにした。
この5年間、いろいろやってきたことが、間違いでないと確信できた。


(写真)徳島市の小松海岸の虹

9日目(帰国)イスタンブール経由、ローマから関空へ

今夜20時ごろ、イタリア・トルコより無事に全員、関空に到着。何か前日までイスタンブール空港は24時間、大雪のため封鎖されていたとのことで、1000人が足留めをくらったらしい。とりあえず、僕達は影響を受けず、予定通りに帰ることができた。あとは、徳島までチャーター高速バスで帰るだけだが、徳島に帰ったら、町内の銭湯に行きたいと思う。


(写真)関西国際空港 到着ロビーにて

今回の旅行で気づいことをメモしたい。

1. 機内食について(トルコ航空)
ビーガン(ベジタリアン)の人は、旅行会社かチケット購入時に、ビーガンだと知らせておけば、それなりの食事が出てくる。普通の食事の場合、チキンかビーフなど二択から選ぶシステムだが、ビーガンの場合は、あらかじめ用意したメニューを持ってきてくれた。


(写真)トルコ航空の機内食 ビーガンメニュー

2. レンタカーについて (イタリア Hertz)
今回、国際免許を準備せず、イタリアローマで車をレンタルできた。有ればそれにこしたことないが、パスポートと日本の普通免許証、そしてクレジットカードをレンタカーのカウンターで提出するだけで簡単には借りれた。ただ免許証の有効期限が平成で表記されているので、西暦で期限を伝えるとスムーズにいった。
今回借りたのは、日本にもあるHertz、日本と違って24時間何時でも返却できるので嬉しかった。だいたい返却パーキングに1人担当者が待機しているか、場所によってはキーを返却ポストに投函すれば良い。返却前のガソリンの補給も必要なかった。

3. マイレージについて(トルコ航空)
今回、全ての飛行機はトルコ航空だったので、日本の全日空マイレージに加算できる。ただ、僕はカードを自宅に置いてきたので、家に帰ってから専用ウェブページから事後登録手続きするよていだ。

4. Wi-Fiについて(トルコ・イタリア)

2015年2月時点では、イタリアローマ空港内なら、無料でwifiが使えた。イスタンブール空港は有料ならあるが、イスタンブールの観光バスには無料でwifiが使えた。またホテルはどことも無料でwifiが使える。

5. スリについて

今回、ヴネッティアからローマの特急電車で移動中に、近くに座っていた日本人青年(1人旅)がスリにあった。僕の座席から二つ目の近距離の出来事だったので、少し驚いた。
日本人青年は天井近くの棚に財布を入れたカバンを置いていたようで、スリはその青年に、貴方はこの席かどうか、チケットを見せて欲しいといって、隣の空いている席に、まるで自分の席のように座り、財布の在りかや、周辺の状況を伺っていたようだ。そして、自分の荷物も棚に置き、一駅で降りる際に、手際よく財布だけ抜き取る手法のようだ。日本人ツアーの中に1人かカップルで近寄ってきたら、慎重にしたほうが良いだろう。

6. トルコ人の優しい息子
ローマからイスタンブールに飛行機で向かう前、出発ゲートの椅子に座っていると、隣よろしいでしょうか?と青年が英語で尋ねてきたので、良いよと返事をした。すると、自分でなくお父さんを座らせた。飛行機での中でも、斜め前に家族三人で座っていて、父のため、母のため、機内にある毛布や食事など、細やかかな采配をしていたのをみて、トルコの良好な親子関係に少し感動した。

とりあえず、今回の旅行は、当初の目的をほぼ消化することができた。そして何より、11年前、ブーちゃんとの新婚旅行が、自宅から1時間もかからない同県の神山町1泊2日だけだったので、この海外旅行をブーちゃん達とできて、とても良かったと思った。

8日目(花見)バチカン市国・蜂須賀桜

今回の旅、一番の目的であるバチカン市国で蜂須賀桜を愛でるため、午前中、メンバー15名と向かった。ホテルからは約1キロほどの距離。
谷口神父さんと現地案内人のフランチェスコさん、加藤さんに連れられ、バチカン市国内の奥、特別許可を頂いて、蜂須賀桜のある庭園に入った。
庭園には10年前に植樹されたソメイヨシノと蜂須賀桜の2種類の桜が植えられているが、ソメイヨシノはまだつぼみも小さい。蜂須賀桜は七分咲き。

sakura01.jpg
(写真)バチカン市国の蜂須賀桜 七分咲き

徳島から持ってきた斎藤酒造場の清酒「蜂須賀桜」を枡に注いで、みんなで飲み干した。その後、ブーちゃんと義姉の「さくらさくら」と「故郷」を二重唱。少し早い花見をバチカン市国で楽しんだ。

miage_minna.jpg
(写真)バチカン市国の蜂須賀桜 花見

この様子は、明日の徳島新聞朝刊に掲載されるかも。。。
その後、サンピエトロ大聖堂の中をみんなで散策。これで旅のスケジュール全て、消化したことになる。
夜19時ごろの飛行機に乗って、イスタンブール経由で日本に帰る予定だ。

7日目(巡礼)イタリア・アッシジ・フランチェスコ聖堂

朝5時から昼過ぎまで、宿泊先であるローマのホテルの部屋にて、パソコン作業がメインの仕事をした。内容は、神山町の橋の完成予想パースを仕上げること。 僕が作業している間、ブーちゃん達は、バチカン市国周辺を散策したそうだ。

とりあえず、仕事を終え、ブーちゃんと義姉と3人で、アッシジへ行くことにした。ここは、聖フランチェスコが教会を再建した聖地。また、今の教皇の名は、このフランチェスコから来ているという。
殆どの会の他のメンバーはナポリ&ポンペイへ観光に行ったが、僕達3人は当初から行きたかったので、ローマでレンタカーを借りて、ののちゃん運転でアッシジへ向かった。


(写真)レンタカーのアルファロメオと一緒に ビーガンにとっては残念ながら、室内は革張り。。。そしてマニュアル。

約2時間半かけて、ローマから一般道、高速道路を走って、アッシジに無事に到着。
ちょうど着いたころ、まん丸な夕日が山に沈もうとしていたので、しばらく拝んだ。


(写真)夕暮れの聖フランチェスコ聖堂

教会内部へは、残り時間、5分。。。という、ぎりぎりセイフで、内部へ入ることができた。
そこには、聖フランチェスコが眠っている棺があった。
今回の目的の1つが達成できた。


(写真)夜の聖フランチェスコ聖堂にて

車を返しに行った帰り、ローマ中心部を歩いていると、沢山のパトカーなどの車両、空にはヘリコプター、いったい何があったんだろう?



6日目(謁見)バチカン市国・フランチェスコ教皇

朝、正装してバチカン市国のサンピエトロ広場へ向かった。今日は水曜日、そう教皇の謁見がある日だ。


(写真)サンピエトロ広場にて この青い紙が、謁見の券

10時ごろ、広場には沢山の人盛り。僕達はほぼ中央の席に座ることができた。フランチェスコ教皇が謁見している間、僕は涙が止まらなかった。なぜか?
いろいろと感情的なことはあるが、一番、感じたのは、昔、隠れキリシタンなどで、亡くなった大勢の人達の顔が浮かんだ気がしたから。。。その殆どは無名で、その数は計り知れないらしい。

教皇の謁見の内容は、兄弟仲良く、周辺の人達にも、その愛をもって接しなさい。。。のよな内容だったかな。


(写真)フランチェスコ教皇

謁見の後は、谷口神父と一緒に、ローマ市内観光を楽しんだ。


(写真)谷口神父とジェラート

谷口神父のブログ→〔続〕うさぎの日記

5日目(観光)イタリア・ローマ

今日は、昼過ぎからローマへ向かった。移動は特急電車。時間は約4時間ほど。僕はその間、「とき廻り・ひと巡り」の最後の連載となる記事をまとめた。


(写真)ヴネティア~ローマへ特急電車で移動

夕方からは、バチカン市国の谷口神父を囲んでの食事会が開かれた。その後、永井さんより、バチカン市国の教皇に向けた親書、斎藤酒造の蜂須賀桜などを渡した。


(写真)夕食会

谷口神父のブログ→〔続〕うさぎの日記


(写真)日本国外務大臣政務官から法王フランシスコへ向けた親書を永井さんから谷口神父に渡す


(写真)徳島の斎藤酒造場,、清酒・蜂須賀桜を手にするバチカン市国の谷口神父。

4日目(祭)イタリア・ヴネッティア 仮面舞踏

午前中、イスタンブールからヴネッティアまで、飛行機で移動した。飛行機の窓からは、アドリア海とトリエステの街並み。今回、青島捕虜イタリア兵の出身地であるトリエステの上空近くを空から拝見することができたので、トリエステ訪問は、これで充分かなと思った。午後から仮面舞踏で賑わうヴネッティアを散策した。
徳島でいうところの阿波おどり時期と同じで、一年の中で、最も活気づく今日と明日をヴネッティアの旧首都で過ごせるのも何かのご縁かなと思った。


(写真)ヴネッティアで最も有名で大きな橋


(写真)舟のうえにて

まずは参加者全員で、サンマルコ広場にあるヴネッティア共和国の議事堂などを巡った。そこには裁判所や牢獄、博物館などがあり、広い議事堂には、代々の長の姿が描かれているのだが、一人だけ黒く塗り潰された人がいた。まやかしなのか正義だったのか。。。


(写真)ヴネッティア共和国時代の国会議事堂内

サンマルコ広場には沢山の賑わい。自由行動は、自分の感覚を計るため、「迷う」ことに専念しょうと考えた。
スマホのwifiは不通のままに、事前情報は無し、身一つで迷う散策をした。


(写真)仮装する人達


(写真)仮装する人達

自由行動は2時間ほど。歩いては運河で行き止まり、戻っては狭い路地をさまよった。陽も落ち薄暗くなり、僕は完璧に「迷う」ことに成功。ゲームスタートだ!
ここからは、全て自分の感覚を信じて散策を楽しむことになる。

路地を歩いていると、後ろから「ここ何処だろうね?私たちの周りには日本人いないよね?」と女性二人の声が聞こえたが、僕も迷っているので謎のアジア人になり無視をした。
夜になるにつれ、行く人探しは仮面を着けだし、非日常の世界。日本ではなかなか味わえないヴネッティア迷路を体験できた。
今日泊まるホテルは、ヴネッティアで一番有名な橋の近く。。。何とかスイス?ってな名前だったと思い出し、辿り着いた大きな橋で探してみるも見付からず。。。あと30分でゲームオーバーという焦りもあって今日最高の時間を過ごすことができた。


(写真)勘違いした橋

結局、その橋は違う橋で、舟乗場の看板を見て、もう一つの橋へ小走りで向かった。
結局、ブーちゃんのお叱り電話を受ける直前にホテルに辿り着くことができた。
約5分のオーバーだが、ギリギリセーフ!

(写真)ブーちゃんと仮装

夕食の後、25ユーロで仮面を買って、ブーちゃん達と、ホテルまで歩いた。
明日はローマとバチカン市国へ行く予定だ。

3日目(観光)トルコ・カッパドキア

トルコのことを小アジアと呼んだりしているが、まさに今日は、その小アジアの中央に位置するカッパドキアに向かった。
朝5時にホテルを出発し、イスタンブールからトルコ航空に乗ってカッパドキアに程近いカイセリ空港に到着。ブーちゃん達は不参加で、僕ののちゃんは他のメンバー10人とトルコ人で添乗員のケナンさんの案内でカッパドキアを巡った。
空港から地元チャーターバスに乗って、最初の目的地、「デプレントの谷」に向かい、朝9時30分ごろ到着した。
天気も回復し、暖かい1日となった。何人かは昨日の疲れがあったようだが、最後まで元気にカッパドキアを満喫できた。
とりあえず、下の絵のように特徴的な地形が印象的なカッパドキアだが、巨石好きな僕ののちゃんにとっては、今日の体験は一生残る記念となった。


(写真)トルコ石の宝石商の壁にあったカッパドキアの絵

「デプレントの谷」は、カッパドキアの入口辺りにある鬼岩がならぶ地形。次のスリーシスターズ途中、トアル施設に立寄った。そこで生まれて初めて、蚕から糸を紡ぐ作業を観た。昔は日本でも養蚕が盛んだったとのことだが、僕にとっては新鮮。。。でも残酷な思いも湧いてきた。

(写真)絨毯の横糸になるシルク糸を蚕より紡ぐ

地元添乗員のケナンさんは、スリーシスターの岩より、まだまだ凄い場所があるよと、地下都市へ向かった。


9:35 スリーシスターズ(三姉妹の巨岩)

この地下都市は、もともとキリスト教信者が隠れるための地下都市という。迷路のように中は無数の穴々だらけ。たまに迷子になる観光客もいるとか。結構、殆どの通路が低い天井だったので、腰に結構キタ!
ドキュメント映画「劔の夜明け」オープニングの高根三教の回想シーンで、ここで撮影した映像を入れ込む予定だ。


カイマクルの地下都市

世界遺産のカッパドキア、ここパシャバーは、より身近に岩々を歩いて散策できる。


カッパドキア・パシャバー

昼食は、洞窟食堂で頂いた。日本語達者なウェイターさん、どことなく叔父にそっくりだった。
3時のカフェは、ギョレメを一望できる丘の上のカフェでトルココーヒーをおごっていただいた。


ギョレメ・カフェ

最後に、カッパドキアのウチヒサルを訪ねた。少し自由時間ぽかったので、写真撮影だけではものたらず、実際に洞窟で暮らす人々の様子を見に行きたく、沢山ある穴々に向かって歩いて行った。すると、ツアーの何人かが、後ろに同行していたので、みんなで探検ゴッコを楽しんだ。


(写真) カッパドキア・ウチヒサル

探検ゴッコのクライマックスは、入れそうで入れない居住穴に、入ること。。。僕ののちゃんでは、少し高い場所に穴があったので、同行していた女性Nさんに、僕を踏み台として、上がってもらい、中を撮影してもらった。


(写真) カッパドキア・ウチヒサル

一旦、下の広場に戻り、振り返ると、1人の男性が奥の岩の方に立っておられたので、メンバーの男性かと手を振ったら、向こうも手を振り替えし、応じてくれた。
結局、別人で住民のイシュマエルさんだった。どことなく徳島県牟岐町のS宮司に雰囲気が似ていた。


(写真)ウチヒサル・イシュマエルさんの玄関先にて

イシュマエルさんは、だいだいこのカッパドキアの洞窟に暮らしており、居住の一部をカフェとして解放している。
寝室やキッチン、そしてテラスを見せていただけた。


(写真)ウチヒサル・2階玄関先のイシュマエルさん

客室で、カフェを飲みながら、雑談していると、「もうバス出るよ!」とのメンバーの知らせに、お宅訪問はそこそこに、イシュマエルさんの案内で、他の部屋部屋を見せてくれた。 奥のストーブの壁は、昔、イシュマエルさん自身による彫刻を施した壁面。


(写真)ウチヒサル・イシュマエル邸の客間

また、テラスからの眺めは最高で、「こんどゆっくり来なさい。いつでも泊まっていいよ!」と嬉しい、言葉も頂いた。とりあえず、時間がないので、握手をして別れた。 本当にここに住みたいと思えるほど、快適な空間に思えた。


(写真)ウチヒサル・イシュマエル邸のバルコニー

最後は、カッパドキアの鳩の谷で少し休憩して、朝来た逆のルートでイスタンブールへ戻った。
カッパドキアは想像していたより、かなり広い範囲に及んでいる。世界遺産に登録されているので、来る観光客は増える一方で、観光地化していくことは、仕方ないが、少し残念にも思う、今日のツアーだった。
イシュマエルさんのように、昔ながらのスタイルを残しながら、暖かく観光客を迎えてくれる場所は、非常に貴重だと思った。


(写真)鳩の谷

明日は、午前中にイタリアのヴェネツィアに入る予定だ。

2日目(観光)トルコ・イスタンブール

予定より1時間ほど早く、イスタンブール空港に到着。時刻はまだ早朝の4時半ごろ。
しばらく空港で時間つぶしをして、イスタンブールのチャーターバスに乗って、旧市街地へ。


(写真)ツアー全員のスーツケース イスタンブール空港にて

1軒目の訪問先となったブルーモスクでは、僕がボヤボヤしている間に、1人バスに取り残されて、バスの運転手と離れた場所にある駐車場に連れていかれてしまった。みんなより約30分遅れの合流。。。


(写真)ブルーモスクは、17世紀のオスマン帝国のモスク。

このイスタンブールは、ビザンティン帝国の時代、コンスタンティノープルと呼ばれていた。
西ローマの中心がバチカンだとすると、東ローマの中心はこのコンスタンティノープルなのだが、その更なる中心が、アヤソフィア大聖堂だという。


(写真)アヤソフィア大聖堂前の公園で三毛猫ちゃんにシャッターチャン~ス

昼前、トアル問屋街で、みんなが買物をしている際中、僕はその付近をひとりぶらぶら散策した。
みんなで昼食を食べ終え、トプカプ宮殿へ向う。


(写真)渦巻きが美しい市内の公園

この宮殿は、オスマン時代の君主の宮殿。 敷地内にある建造物の天井に、ちゃんと数えていないが沢山の16紋菊が金色に輝いていた。


(写真)トプカプ宮殿のテラスより、ボスポラス海峡を望む場所で、ブーちゃんと記念撮影


(写真)グランバザールにて

明日は日曜日なので、グランバザールが休みとのことで、夕方、みんなで立寄ってみた。約5000軒の店が立ち並ぶそうで、今回は時間がないので、ほんの手前のアーケード街のみを歩いた。
その後、ホテルに戻る途中、渋滞にはまり、僕と女性3人の計4人だけ、チャーターバスを降りて、地下鉄に乗った。
この地下鉄、実は、アジアとヨーロッパを繋ぐ地下鉄で、ボスポラス海峡の地下を通過している。日本の大成建設が成し遂げたそうだ。


(写真)地下鉄の電車前にて

明日はトルコのカッパドキアに行く予定。

1日目(出国) 関空からトルコ・イスタンブールへ

午前中、学生の卒業制作展に伺った。教え子ばかりの作品なので、彼等の顔を思い浮かべながら鑑賞を楽しんだ。
それから、気になってた清酒・蜂須賀桜の酒造場が近かったので、立ち寄って中瓶2本と枡を5個、購入しバチカン市国へのお土産とした。


(写真)斎藤酒造場 清酒 蜂須賀桜 2本買って残り1本となった

なんやかんや準備していると、あっという間に出発時刻。義兄の車でとくとくターミナルでチャーター便の高速バスに乗車した。


(写真)徳島から関空までのチャーター高速バス バチカンで蜂須賀桜を愛でる会

とりあえず、23時頃出発のトルコ航空に乗ってイスタンブールにこれから向かう。
この蜂須賀桜を愛でる会は添乗員入れて15名。今日から10日間、安全で楽しい旅になるよう願いたい。

慌しい一日

認定試験協会が無料で実施する「Webクリエイター能力認定試験スタンダード」を午前中、学生3人に受験してもらった。
今回のテストは、新基準(HTML5)の試験で、僕自身も夜、エキスパートを受験した。
結果は後日だが、試験時間がもう少しあればと思った。

午後は、トアル喫茶店で、NさんとMさん、3人で連載記事の原稿チェックをした。
Nさんとは、明日、一緒にトルコ⇒イタリア⇒バチカンにいくのだが、凄いニュースが飛び込んできた。
この内容は、バチカンの時に、ブログに書きたいと思う。

ところで、明日が出発と言うのに、準備はぜんぜんできていない。しかも、今日、急ぎの仕事も入ったりと、海外旅行と言えども、パソコンを持って行き、毎夜、仕事になりそうな10日間だ。。。

hyottoko.jpg
(写真)Nさんが撮影してくれてた、僕ののちゃんヒョットコとAさんの舞台

虫丸さんの心身解放のワークショップなどなど

朝9時、パワ友さんと螺旋の井戸で待ち合わせ。今日の建国記念日は2人で、いろいろ巡る予定で、国府町の公園に車を駐車してから、僕の天ぷらカーで神山町の神通の滝へ向かった。
前回、この神通の滝に撮影に来た時、カメラのレンズフードをこの滝で無くしてしまったので、それを探し序でに立寄った。
下の写真の通り、美しい氷の滝だった。結局、雪が積もっていたので、レンズフードは探しきれなかった。

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(写真)神山町上分 神通の滝

神山町から小松島へ行く途中、パワ友さんのリクエストで、天岩戸立岩神社を伺った。
去年の台風の影響なのか、神山からは、途中、崖崩れで不通となり、そこから20分ほど歩いて、神社へ向かった。

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(写真)神山町から、天岩戸立岩神社への道、数キロ手前で不通

ここは、女性を象徴する磐座がご神体で、初めてのご対面となった。因みに山の反対側には、男性を象徴する磐座がある。

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(写真)天の岩戸立岩神社

神山町から小松島へ抜ける道が、工事のため、50分ほどの不通。。。待つと、14時からの虫丸さんのワークショップに間に合わないので、徳島市内へ迂回して、ギリギリ開催時刻に現地に到着できた。
このお寺、かなり立派で落ち着いた雰囲気。

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(写真)小松島市 地蔵寺

虫丸さんの身体を開放し、息を意識したワークショップには、約12名の男女が参加。
全員で、準備トレーニングしてから、干支による個人の表現、四季によるグループの表現、そして最後に自由な個人の発表会とつづいた。

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(写真)その地蔵寺で開催された虫丸さんのワークショップ

大学を卒業して、シドニーに留学していた時、街の踊れる場所で、自由気ままに踊っていたら、ガードマン2人に抱えられ、危険人物にされて以来、どうもダンスや身体を動かしての表現にトラウマになっている僕ののちゃん。。。
今回のワークショップで、解放され、心身ともリラックスでき非常に良かった。
今年の建国記念日もパワ友さんと過すことができた。

土御門上皇で始まり、上皇で終わった連載だった

徳島エコノミージャーナルに僕ののちゃんが連載担当していた「徳島ぶらり散策」の最後の記事を今日、書き終えた。今後、僕に代わる誰かが引き継ぐのかは不明だが、前任の担当者から引き継いだこの連載は約2年間つづいた。
僕が担当したのは、途中の第21回(土成町吉田)から、今回最後となる第46回(土成町・土御門ウォーキング)の合計26回分の記事を書いたことになる。つまり、徳島県内の26ケ所のスポットを紹介したことになる。大まかに言うと、最北は鳴門市北灘町櫛木のほたる祭り、最南は海陽町竹ヶ島の夏祭り、最西は三好市東祖谷の劔神社例大祭など巡り、取材を重ねてきた。
今思えば、この僕が担当した連載は、土御門上皇で始まり土御門上皇で終わった連載となった。
もう1つの連載「とき廻り・ひと巡り」も昨日取材を終え、今後、原稿をまとめる予定だ。
これまで取材させて頂いた皆様、大変お世話になりました。

burari46a.jpg
(画像)ecoja3月号掲載予定の「徳島ぶらり散策」の連載記事

個人的な今日のスケジュール。
夕方、大阪のDさんと供にご神事をしているYさんのお父様が亡くなられたとの知らせを聞き、Yさんのご自宅のご霊前に手を合わせに伺った。

明日は、パワ友さんとカニちゃん主催の虫丸さんのワークショップなどに参加する予定。

錨星(カシオペア座)と北極星は瀬戸大橋周辺と小豆島に一致する

今日は大麻町のイチゴ農家のSさんを取材した。僕が担当する連載記事「とき廻り・ひと巡り」、最後の人物として相応しい方でした。ありがとうございました。
夕方から、学校へ行き、打ち合わせの後、教室にあるパソコン20台のシステムをアップデート。夜9時近くまでかかった。

ところで、前回、「北斗七星と北極星は淡路島と小豆島に一致する」についてブログで紹介したが、その続き「錨星・いかりぼし(カシオペア座)と北極星は瀬戸大橋周辺と小豆島に一致する」について、まだ確定ではないが、だいたい纏まったので報告する。
下の図を見れば一目瞭然だが、錨星(カシオペア座)は瀬戸大橋周辺の各々の山や島とリンクする。北極星は小豆島の最高峰の星ヶ城山だ。
因みに、星座が反転しているのは、地球から見ているのでなく、外宇宙から星を山々に投影した場合を想定している。
詳細は以下の通り。

①カフ Caph (染めた手) 鷲羽山 133m 瀬戸中央自動車道トンネル上の古墳群あたり
②シェダル Schedar(胸) 高無防山(本島) 199.4m 近くのストーンサークルあたり
③ツィー Cih (鞭)小与島 島中央の採石から免れた裸山あたり
④ルクバー Ruchbah (ひざ)瀬居島 112m 山頂の磐座あたり
⑤セギン Segin 白峰山(五色台) 337m 崇徳天皇御陵あたり

⑥北極星 星ヶ城山(小豆島)817m

補足、図の赤線の交点から小与島の距離の5倍は、その小与島から星ヶ城山までの距離とほぼ等しい。
アンドロメダ星雲の位置は、六島あたりだが、粟島も含めて候補としている。
この配置は前回の淡路島の北斗七星と同じく、四国剣山山系を真天にしている。
まだ確定ではないので、順次確定しだい改めて報告したい。

錨星(カシオペア座)と北極星は瀬戸大橋周辺と小豆島に一致する

ケーキづくりに挑戦

午後から、市内のキッチンカフェで、「バレンタインケーキを作ろう」に参加した。
女性7人と子ども2人、男性3人、そしてI先生のメンバーで、ナッツなど全てビーガン仕様の材料でケーキ作りに挑戦した。

DSC_0428.jpg
(写真)ケーキづくりの材料一式 全てビーガン仕様

どうにかこうにか出来た上がった僕のケーキだったが、塩加減を間違えて、ショッパイケーキに。 ケーキをあげたものの、Jさん、Kさん、きっと不味かっただろうに。。。

DSC_0445.jpg
(写真)僕ののちゃんが作ったバレンタインケーキ

本来、もっと美しく仕上げる予定だったが、とぐろをまいたウ●コケーキだと女性から言われてしまった。
因みに、先生のケーキは下の写真の通りだ。

DSC_0439.jpg
(写真)I先生のお手本ケーキ

夕方、その手づくりケーキをバレンタインとして、ブーちゃんに食べてもらったが、「塩加減が失敗しなければ美味しいかも」と感想。残念賞だ。。。
先日、カズさんより、イタリアに行く前に観ておいた方が良いよと、「ブラザー・サン シスター・ムーン」を観ながら食べた。フランチェスコが公衆の前で全裸になり、街を去っていくシーンは、子どもの頃に観た記憶があった。
夕食の後、某テレビ番組の吉田松陰の獄中シーンを見ていたのだが、どことなく、フランチェスコと重なるところがあった。
時代も国も宗教も違う2人だが、供に、内なる幸福、平等、志の半ば仲間を失う葛藤、精霊、そして同志。
フランチェスコの映画では、幼馴染の友人に罪を与えないよう、「彼は仲間ではない!」とフランチェスコは言うが、「俺は仲間だ!」と最後の最後でフランチェスコを受け入れた友人の決心にジ~ンときた。

昨日は、松山市内の空撮を無事に終えれた。これで海外旅行前に、遣るべき1つの仕事を終えることができた。
明日は、僕が担当する経済情報誌最後の取材に鳴門の大麻町のイチゴ農家さんに伺う予定。

牟岐町震源の地震について

警報が鳴りだし、外が騒がしくなったかと思えば、揺れ始めた。 徳島県内では久しぶりの大きな地震で、前回、淡路島の六芒岩(環状巨石群)で発生した2013年 4月13日のマグニチュード(M)6.3の地震時の揺れに近かった。(徳島市)
気になって震源地の牟岐町の榊宮司さんに電話すると、時間が短かったので大丈夫でしたとのこと。
場所は、牟岐町の百々路山の北3kmほどの場所。 高知県の安田町からつづく安田活断層の延長線上が震源地と思われる。

kishoucho_20150206112924177.jpg
(データ)気象庁地震情報

平成27年02月06日10時29分 気象庁発表
06日10時25分頃地震がありました。
震源地は徳島県南部(北緯33.7度、東経134.4度)で、
震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は5.0と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。

徳島県  震度5強 牟岐町中村*
     震度5弱 海陽町大里* 海陽町久保*
     震度4  阿南市山口町* 那賀町横石 那賀町和食*
          那賀町上那賀* 美波町西の地* 美波町奥河内*
          海陽町奥浦*
     震度3  徳島市大和町 徳島市津田町* 鳴門市鳴門町*
          小松島市横須町* 佐那河内村下* 石井町高川原*
          神山町神領* 北島町中村* 吉野川市鴨島町
          吉野川市川島町* 吉野川市山川町* 美馬市脇町
          美馬市木屋平* 美馬市美馬町* 美馬市穴吹町*
          つるぎ町貞光* つるぎ町半田* 阿波市市場町*
          阿南市富岡町 阿南市那賀川町* 阿南市羽ノ浦町*
          勝浦町久国* 上勝町旭* 那賀町木頭和無田*
          那賀町木沢*

イタリアへ行く理由の1つ

fune.jpg
(写真)13人のイタリア人が乗船していたカイザーリンエリザベート号 1914年11月2日に青島にて自沈
参考:wikipediaよりhttp://de.wikipedia.org/wiki/SMS_Kaiserin_Elisabeth
This image is in the public domain because its copyright has expired.


再来週、家族でイタリアへ行くのだが、旅の理由の1つとして、第一次世界大戦で日本の収容所で俘虜となったイタリア人(厳密に言うとイストリア半島とダルマチア地方)の供養のためだと、何となく思えるようになった。

その大戦時、ドイツ兵に混じって同盟国のオーストリア軍も参戦、日本軍の俘虜となったオーストリア=ハンガリー帝国巡洋艦皇后エリザベート号の乗員には、現在のクロアチア人、ハンガリー人、イタリア人など様々な国籍の船員や水兵が大勢乗っていたという。そんな中、日本の収容所を転々と移動し、最後に徳島県の板東俘虜収容所に収容された13人のイタリア人について、興味を持ち調査するようになった。(板東に収容されなかったイタリア人も多数いたもよう)

1999年に僕はクロアチアとスロベニアを旅行した際、ひとり、レンタカーを借りてイストリア半島とダルマチア地方を1週間かけて車で巡ったことがある。今思えば、この13人の内、10人の故郷を巡ったことになるのだが、残り2人の故郷はまだ巡れていなかった。そして今回、いよいよ残る2人の故郷、イタリアのトリエステへ行けそうなのだ!

以下に13人の名簿、日本帝国俘虜情報局『獨逸及墺洪國俘虜名簿』大正6年6月改訂より抜粋する。
1917年に徳島県板東俘虜収容所に収容されていた当時イタリア人13名をアルファベット順に記す。全員、イストリア地方とダルマチア地方の出身者で、現在の国に分けると、クロアチア10名、イタリア2名、スロベニア1名となる。

因みに、トリエステ出身者は、④Frausin Josefさんと、⑨Pinski Brunoさん。今回の訪問で何か手がかりが見つかればと思っている。この⑨Pinski Brunoさんは、「青島の擁護者と日本での監禁」Die Verteidiger von Tsingtau und ihre Gefangenschaft in Japan に13人の中で唯一記載されている人物。内容は次の通り。
参考文献:http://www.tsingtau.info/index.html?namen/p.htm

bei Mobilmachung(01.08.1914) Matrose 3. Kl. auf k.u.k. Kreuzer Kaiserin Elisabeth;
ab 11.1914 gefangen im Lager Himeji(Gef.-Nr.2368, Heimatort: Triest, Istrien), 20.09.1915 verlegt ins Lager Aonogahara, 09.10.1916 im Lager Marugame, 08.04.1917 verlegt ins Lager Bando;
06,1917 auf Ehrenwort entlassen
≪翻訳すると≫
1914年8月1日に3等水兵としてクッククルーザー カイザーリン エリザベート号に動員された。
(指揮所Nr.2368、出身:トリエステ、イストリア)1914年11月から姫路に収容、1915年9月20日に丸亀に収容、1916年9月10日に青野原へ移動し、1917年4月8日には板東に収容。1917 年6月に仮釈放される。 

この仮釈放について補足をすると、13名全員、6月22日、イタリアの連合国加盟により宣誓解放され、板東俘虜収容所の高木大尉の付き添いでイタリア人13名は、小松島港から徳島丸(共同丸?)で神戸に着き、同夜は栄町の「恵比須屋旅館」に宿泊。その時、大正6年6月24日付の神戸新聞に、高木大尉を囲む13名の俘虜達の記念写真が掲載されている。詳しくは、ののちゃんブログの「クロアチア兵と鶴亀物語」を見てね。

以下に13人全員の名簿を記す。

①Bianchi(ビアンキ),Leone de
エリザベート号乗員・4等軍楽下士。1916年10月9日、リッチ(Rizzi)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのチッタノーヴァ(Cittanova)出身。27歳。

②Brunni(ブルンニ),Angello
エリザベート号乗員・3等水兵。1916年10月9日、ツリアーニ(Zulliani)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのロヴィンゴ(Rovingo)出身。26歳。

③Descovich(デスコヴィッチ),Vincenz
エリザベート号乗員・3等甲板下士。青野原時代の1916年8月3日付け書類によると、隔離を要する俘虜とされた【『俘虜ニ関スル書類』より】。1916年10月9日、フラウジン(Frausin)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。アドリア海東岸のダルマチアのセベニコ(Sebenico)出身。25歳。

④Frausin(フラウズィン),Josef
エリザベート号乗員・2等水兵。1916年10月9日、マダレンチッチ(Madalencic)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。トリエステ郊外のムッギア(Muggia)出身。26歳。

⑤Madalencic(マダレンチッチ),Edmondo
エリザベート号乗員・1等水兵。1916年10月9日、マラチッチ(Maracic)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのブジェ(Buje)出身。27歳。

⑥Maracic(マラチッチ),Petar
エリザベート号乗員・1等水兵。1916年10月9日、ピンスキー(Pinski)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのポンテ(Ponte)出身。コラシ26歳。

⑦Martinovic(マルチノヴィッチ),Rudolf
エリザベート号乗員・1等水兵。1916年10月9日、マラチッチ(Maracic)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。ダルマチア(今日はクロアチア)ツァラ(Zara)出身。28歳。

⑧Parenzan(パレンツァン),Marko
エリザベート号乗員・2等水兵。1916年10月9日、ロッスト(Rossut)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのピラノ(Pirano)出身。26歳。

⑨Pinski(ピンスキー),Bruno
エリザベート号乗員・3等水兵。1916年10月9日、ロッスト(Rossut)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのトリエステ(Triest)出身。ロンスキ25歳。

⑩Pozar(ポーツァル),Isidor
エリザベート号乗員・3等水兵。1916年10月9日、ツリアーニ(Zulliani)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。イストリアのフイウミツェロ(Fuimicello)出身。26歳。

⑪Rizzi(リッチ),Giovani
エリザベート号乗員・1等水兵。1916年10月9日、ビアンチ(Bianchi)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。ダルマチアのルッシンピッコロ(Lussinpiccolo)出身。26歳。

⑫Rossut(ロッスト),Karlo
エリザベート号乗員・1等水兵。イタリア人。1916年10月9日、他の12人のイタリア系等の俘虜とともに、青野原から丸亀に写された。板東時代の1917年5月13日縊死未遂事件を起こした。1919年6月28日のヴェルサイユ講和条約で、イタリア領に編入されたイストリアのチッタノーヴァ(Cittanova)出身【同地は第二次大戦後のユーゴースラヴィアを経て、今日はクロアチア共和国に属し、ノヴィグラード(Novigrad)となっている】。27歳。

⑬Zulliani(ツリアーニ),Pietro(1891-1966)
エリザベート号乗員・3等水兵。1916年10月9日、デスコヴィック(Descovvick)等12名と青野原から丸亀に移送された。板東収容所へ。1917年9月30日付けで、オーストリア=ハンガリー二重帝国海軍から逃亡兵として除隊処分になった。イストリアのグラード(Grado)出身。26歳。

IMG_7626.jpg
(写真)大正6年6月24日の神戸新聞掲載。

前回取り上げたブログのリンク↓

クロアチア兵と鶴亀物語
第一次世界大戦のクロアチア人、ドイツ捕虜の件で調べて分かったこと

そろそろ準備

来週、トルコ、イタリア、バチカンに家族で旅行に行く予定。もう出発まで1週間、そろそろ準備をはじめようと思う。
昨夜、ブーちゃんのキャリー(60L)を買った。僕は以前から持っているキャリー(100L)、全ての飛行機は、トルコ航空を使う予定なので、ケース込み総重量は、20Kgまでなら無料、それを以上は、追加費用がいるとのこと。

DSC_0437.jpg
(写真)手前の赤いキャリーが60L、奥が100L

実は、忙しい今、このタイミングで旅行に行く本当の理由が分からないでいる僕。。。たぶん、帰国して何かに、気づくのだろうか?

北斗七星と北極星は淡路島と小豆島に一致する

今日、愛媛県松山市の空撮の作業は、以外に強風だったため、途中で取り止め、また天候をみて再チャレンジすることになった。
ところで、以前から調べていた北斗七星と北極星について、ある程度まとまってきたので、ここで少し紹介したい。
下の図を見れば一目瞭然だが、北斗七星は淡路島の各々の山とリンクする。北極星は小豆島の最高峰の星ヶ城山だ。
因みに、星座が反転しているのは、地球から見ているのでなく、外宇宙から星を山々に投影した場合を想定している。
詳細は以下の通り。

①ドゥペ Dubhe (貪狼)1.8等級  南辺寺山 273m
②メラク Merak (巨門)2.4等級  諭鶴羽山 608m
③フェクダ Phekda (禄存)2.4等級  三熊山 133m
④メグレズ Megrez (文曲)3.4等級  高倉山 266m
⑤アリオト Alioth (廉貞)1.7等級  摩耶山 359m
⑥ミザール Mizar (武曲)2.4等級  伊勢の森(常隆寺山)515m
⑦ベネトナシュ? アルカイド Alcaid (破軍)1.9等級 篝場山(鬼神山)244m

⑧杓ですくう水の場所(真名井)は八木笶原の笶原神社の東宮と西宮の周辺とみられる。
⑨北極星 小豆島の星ヶ城山 (ほしがじょうやま)817m

補足、小豆島の星ヶ城山から淡路島の南辺寺山までの距離は、その南辺寺山から諭鶴羽山の距離の5倍。
今後、四国剣山を真天とした、星座とリンクするスポットを紹介できればと思っている。
今月末にリンクする淡路島の7つの山々と、杓の真名井をトアル人達と巡る予定にしている。それで恐らく、確定するだろう。

淡路島と小豆島は北斗七星と北極星に一致する図

恵方の方角は、つねに高野山?

午後の2講義は、Powerpointの認定試験とCAD利用技術者2級の単位試験を実施。まだ最終の採点ではないが、僕が見る限り、まずまずの結果のようだ。残すは、水曜日にIllustratorと来週にWebのHTML5の試験を控えるのみとなった。

夜、家に戻ると、ベジの恵方巻きがテーブルにドーンっとあった。節分前夜に西南西に向かって一気に食べた。明日は僕が鬼役でブーちゃんがお多福役で豆まきを予定。。。

DSC_0479.jpg
(写真)我が家のベジ恵方巻

この恵方巻きについて、師匠の井上正さんの著書によると、
「節分の日、巻き寿司を南南東に向いて丸かじりをすると幸せがくる」と言うのは、大きな秘密が隠されている。
阿波つまり「粟」は西の米と書いて西洋から来た米のり「法」のことで、中身の5つの具は「宝」、そして巻く海苔は「黒」隠蔽することを意味しているらしい。
今年の恵方は「西南西」らしいが、師匠の言う恵方は毎年、「南南東」と決まっている。これは、剣山の「契約の棺」と関係しているらしく、その謎を解くキーが紀伊(和歌山)の高野山にあるそうで、阿波(徳島)から見れば、高野山は南南東の方角なので、そう決まっているとのこと。

明日は空撮の仕事のため、松山市へ行く予定だ。

オペラと火事

香川のNちゃんよりコンサートのご招待をいただき、ブーちゃんと高松へ向かった。 今年で設立30周年のオペラの団体、四国二期会のガラコンサートで、バリトンの玉置先生など、四国は香川などで活躍されているオペラ歌手が集結し、素晴らしい歌声を披露した。
ブーちゃんも昔、この二期会の徳島支部のメンバーだったそうで、昔を思い出しながら、観ていたもよう。夕方、ブーちゃんが徳島で歌のあわせがあるとのことで、2部あるコンサートのうち、前半の一部のみを聴いて、Nちゃんにご挨拶して会場をあとにした。

DSC_0432_20150202011421977.jpg
(写真)四国二期会 設立30周年記念 オペラガラコンサート2015 パンフレット

高松より徳島に戻る途中、母から電話で、2軒隣りの民家が火事との知らせがあり、母が住む実家へ急いで向かった。まだ消化にあたっている最中で、現場のSさん宅は全焼。幸いにも隣近所へ火は移っていないようだった。この家は、年老いた母と娘の二人暮らしで、後のニュースによると、残念ながら1人死亡とのこと。。。心より、ご冥福をお祈りいたします。

DSC_0434_20150202011422046.jpg
(写真)実家近くで火事 道路の消火栓
プロフィール

ののちゃん

Author:ののちゃん
どうも!ののです。見に来ていただき、ありがとうございます。
ただいま、楽しい40代後半。毎日が嵐の様に過ぎ去っていて、殆ど家に居ない状態。。。見失いがちになりそうな日々の出来事を日記として残しております。掲載内容など、お問い合わせは、各記事の Comment(コメント)にご連絡願います。追って連絡しま~す!

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