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安徳十八女滝巡りを終えて

謎多き天皇、安徳帝にまつわる伝説、伝承、ちょっぴり直感も交えて、徳島県南の所縁のスポットを案内した。

県外のメンバーとは、徳島市内のコンビニで待ち合わせ、阿南市の道の駅より、県内のメンバーも加わり、9:30分、僕の運転で合計6人でツアーを開始した。

1つめのスポットは、午尾の滝。

朱の赤い岩盤も見受けられる穏やかな滝、牛馬の尻尾のように見える。駐車場手前の坂で猫がダッシュで走っていた。次で述べるが、ここで住んでいた数年、安徳帝は本来の女性として生きる決断をし、ライフスタイルを180度変える努力をした。その心の拠り所となったのが『猫』だ。優しい滝の流れに、本来の女性のしなやかさと、子孫繁栄に繋がる滝『エナ』のお清めも日々のお勤めとしていた。

2つめは、十八女皇子神社

安徳帝は、18歳までここ十八女町で過ごしたと伝承が残る。他に徳島県三好市東祖谷の栗枝渡で、安徳帝は16歳で崩御したとも伝わるが、少なくとも、男帝としては16歳で終え、本来の女性としての生き方を、剣山・平家平の反対側にあるこの十八女町で18歳まで過ごされたと考えられる。

3つめは、猫神お松権現

最初は予定はなかったが、午尾の滝で猫と出会ったことで、立ち寄るこたにした。那賀川を挟んで十八女町の対岸にある加茂町の山際に鎮座する。伝承は江戸時代のお松さんが起源とされてあるが、私の直感では、安徳帝の時代から猫と非常に関わりのある場所と思われる。

4つめは、轟の滝

ここには川に沿って大小10滝ほどが分布する。轟神社も含め全ての滝を往復で2時間ほどで巡れる。本滝の『轟の滝』は岩戸の奥に隠れるように、でも堂々たる姿で落差60mの大滝、別名、『王餘魚滝』とも呼ばれている。地名は平井、その名の通り、近くには平家の落人の集落もある。女性として生きる決意をした安徳帝は、もう面影に帝、男性を感じさせることも全く無く、一女性としてしばらくここで滞在していたと思われる。恐らく、帝の役割を終え余生をこの地で、まるで魚の様に毎日滝壺で行をしていたお姿から『王餘魚滝』と呼ばれる起源となったのではと私は考える。二十歳を過ぎ、一行者として国家繁栄のため準備が整った彼女は、本流最後の滝、『鍋割の滝』を最後に世話係と別れ、一人、高知に向かったと考える。以後は想像になるが九州、日本海側から東北へ、全国を行脚したと考えられる。

以上、全てのスポットを巡り終え、18:30に阿南市の道の駅にて解散した。

ここで述べた内容は、伝承、伝説以外に私の直感・想像も含みますことご了承ください。

読み:十八女=さかり、王餘魚滝=かれいだき

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