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第一次世界大戦のクロアチア人、ドイツ捕虜の件で調べて分かったこと

今回、第一次世界大戦の発端となったサラエボ事件、その事件勃発100周忌に合わせ、パワ友さんに調べてみてはとの要請に、ダルマチア系のMartinovicさんに辿り着きました。
この件について、今日はブログを書いています。
以下がドイツ兵に混じって捕虜となった雇われ兵のクロアチア人の資料です。

Martinovic(マルチノヴィッチ),Rudolf(?-?)
巡洋艦皇后エリーザベト乗員・1等水兵。1916年10月9日、マラチッチ(Maracic)等12名と青野原から丸亀に移送された。
板東収容所へ移送後まもなくの1917年6月22日、イタリアの連合国加盟により宣誓解放された。
高木大尉以下下士13名の付き添いの下、小松島港から徳島丸(共同丸?)で神戸に着き、同夜は栄町の「恵比須屋旅館」に投宿した。
大正6年6月24日付『神戸新聞』には、その折の高木大尉を囲む記念写真、旅館でくつろぐ13名の解放俘虜の写真が掲載された。
ダルマチア(今日はクロアチア)のツァラ(Zara)出身。(2331:姫路→青野原→丸亀→板東)

僕ののちゃんがダルマチア(クロアチアの海岸エリア)に行ったのは1999年の冬。
その当時、実はこの人の名前も国や出身地も知りませんでした。あてずっぽでクロアチアへ行きました。
クロアチアのダルマチア地方は、美しい島々が浮かぶ海岸エリア。僕はその地方のザダル群のKukljica(ククリツァ)という港村を通りがかりました。
このククリツァは、ザダル:Zadar(イタリア語でツァラ:Zara)の港から船で15分ぐらい沖合いの島にある漁村。
美しい小さな港で、僕はそこにある教会の入口で、美しい緑色のヘビを足で踏んでしまい、死なせてしまいました。
その時、僕がクロアチアに来た意味を知りました。この港村に来たかったんだと。そして役目が終わったと。
資料では、彼の出身地がZara(ザラ)となっていますが、これはイタリア語読みで、英語ではZadar(ザダル)です。
このザダル群の中心都市がザダル市で、ククリツァはその地方の漁村になります。
添付している風景写真ですが、手前の港がククリツァで、海の奥に見える町がザダルです。割と近いでしょ。

kukljica.jpg
(写真)Kukljica:ククリツァの港街風景 Guide Croatiaより


ところで、クロアチア人は大きく別けて2つに分かれます。アドリア海岸沿いのダルマチア系と内陸側のスラブ系。
101匹ワンちゃんのダルマシアンは、この地方から名付けられています。
ダルマチアン系の特徴は、黒髪で背が高く、身体が大きいのが特徴で、僕自身も知人の友人のダルマチアン人から親戚にいる風貌だと言われました。
スラブ系の特徴は、ロシア人に近く色白で子どもの頃は金髪で成人になると茶髪になり、そんなに骨格は丸っぽい感じです。
ただ、純粋なダルマチア人はごく僅かしかいませんが、その混血の子孫は海岸沿いに今も多く暮らしています。

今のところ、僕が小学生の時、徳島県鳴門市板東の旧ドイツ館で見た写真は、ハッキリ覚えていませんが、たぶん見れば、彼が映っている写真の内容を思出すと思います。
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